私と村上龍
-私による彼の本のレビュー-
限りなく透明に近いブルー
第19回群青新人賞、第75回芥川賞を受賞した村上龍の処女作である。
この物語には人間の狂気が詰まっている、乱交、麻薬、暴力etc...
そして、全てに強烈な描写がされている。しかし、その風俗的な騒々しさとは裏腹に、この物語からは静けさを感じる。
それは私たちが主人公の目を通してこの物語を見ているからだ。主人公の目というフィルターを通すことでその騒々しさから熱が消えている。それは、主人公の目と主人公の行動に親密生がないからだ。それは紛れもなく主人公の現実であるはずだが、非現実であるような錯覚さえする。
”リリー、鳥が見えるかい?”
物語の終盤、主人公が恋人に問う。
しかし、鳥は存在しない、恋人は狂気を感じる。
”鳥を殺さなきゃ俺は俺のことがわからなくなるんだ、鳥は邪魔しているよ、俺が見ようとするものを俺から隠しているんだ”
この鳥は現代の社会のシステムの暗喩だろう。
この物語と同時に、村上龍の闘いは幕を開けたと言える。
半島を出よ
2011年春、開幕ゲーム中の福岡ドームが北朝鮮コマンダーに占拠される。意思決定できない日本政府が慌てる中、立ち上がったのは社会不適合者の若者たちだった。社会不適合者の若者たちによる、北朝鮮コマンダーへの決死の抵抗が始まる。
物語の終盤、社会不適合者の若者たちが高層ビルを爆発し、戦いが終焉を迎える。意思決定できない存在の象徴とも言える高層ビルの崩壊、なんとも美しい暗喩だろうか。我々も自己決定の欠如への決別を謀らなければならない。
この物語には不可能とも言える描写がある。北朝鮮コマンドが”語り手”として描かれているのだ。それを可能にしたのは、脱北者や軍事関係者などへの数多くのインタビュー、膨大な数の書籍。そしてなにより、村上龍の圧倒的想像力と緻密な描写である。他の作家では到底成し得ない名作である。
コインロッカー・ベイビーズ
第3回、野間文芸新人賞受賞作品。
生後間もなく、コインロッカーに捨てられた”キク”と”ハシ”。また美し過ぎるが故に、周囲に狂気を齎す”アネモネ”。物語はこの3人によって進んでいく。
我々は彼らの生命の強さの前に、自分の生命の弱さを痛感することになる。そして、自分がコインロッカーの中にいる事に気が付くのだ。暗くて暑苦しい、不快感溢れる窮屈な場所だ。”キク”や”ハシ”のように、コインロッカーから生まれなければならない。その苦しさを受け入れてはならない、抗わなければ死が待っている、生命の息吹を上げるのだ。まるで赤子が母親の産道を通り生を受けるかのように、四方を固める鉄の壁をぶち破らなければならない。その時に感じる世界の光は、顔を顰める程眩しく、不快感に溢れているだろう、しかし同時に開放感もあるはずだ。
そして、不条理との戦争が始まる。ダチュラを手に入れ、壊さなければならない。
この物語は我々に生きる事を教えてくれる。