私と村上龍
-私による彼の本のレビュー-
テニスボーイの憂鬱
上下と長きにわたる物語であるが、この物語はどこへも行き着かない。
主人公はテニスに、美人な愛人と過ごす時間に、セックスに、と快楽を求めるが満たされることはない。
「今夜本当にやりたかったことをしたのはこの小便だけかもしれない。」
主人公は、自分の快楽だと思っているものが虚無であることを理解している。そして、排泄の際に伴う精神的、又肉体的開放感、これこそが快楽であり、リアルであることを理解している。
しかし、どうすればその虚無感から解放されるのかが分からない為に、依然としてテニスや愛人に快楽を求め続ける。勿論、満たされることはない。
このだらだらと続く物語は、タイトル通りテニスボーイ憂鬱そのものである。
あなたはどうだろうか?排泄の際に伴う精神的、又肉体的な開放感、そして快楽。それに勝るモノがあるだろうか?もしそれがないのであれば、あなたの人生は小便以下だ。
これは村上龍からの挑戦状である。
My Review
五分後の世界
村上龍が自ら”最高傑作”と語る作品である。
ジョギングをしていた主人公は、時間の五分ずれた『もうひとつの日本』に迷い込む。『もうひとつの日本』はポツダム宣言を受諾せず、本土を侵略されながらもアンダーグラウンドに国を作り、アメリカを中心とする国連軍を相手に不屈の精神でゲリラ戦を続けていた。そしてここの日本人は、民族の誇りを持ち、目的を最高の質、簡潔な道程で達成する合理的な人間だった。
処刑台で主人公が現代への不満を口にする。
「(上略)みんな共通の目的は金しかねえが、誰も何を買えばいいのか知らねえのさ、だからみんなが買うものを買う、みんなが欲しがるものを欲しがる、大人達がそうだから子供や若い連中は半分以上気が狂っちまってるんだよ(中略)ここは違う」”ここ”とは『もうひとつの日本』だ。
この物語には私たちが忘れてしまった、誇り高く勇気に溢れた日本人がいる。
間違いなく、これはひとつのユートピアである。
ヒュウガ・ウイルス 五分後の世界Ⅱ
「五分後の世界」の世界観で描かれる物語である。
時間の五分ずれた世界では、日本はポツダム宣言を受諾せず、本土を侵略されながらもアンダーグラウンドに国を作り、アメリカを中心とする国連軍を相手に不屈の精神でゲリラ戦を続けていた。冷戦を利用して成長を遂げた日本は、戦闘国家でありながら高度な芸術、科学、文化を誇る国となった。
この日本のとある地区で、『ヒュウガ・ウイルス』という死病が蔓延する。調査の結果、”圧倒的エネルギーを危機感に変える作業を日常的にしていたか?”ということが生死の分かれ目だということが判明。
正当な危機感を持ち、生きる意志のある者以外は淘汰される世界の訪れを予感させて物語は終わりを迎える。
現代社会に死病は蔓延していない。しかし、”危機感”と”意志”を持って生きなければ死が待っている世界は、もうそこまで来ているのかもしれない。